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「日本一かっこいい男」と言われている白洲次郎の生き方

日本で初めてジーンズをはいたとも言われている1902年生まれの白洲次郎。
オシャレだしイケメンだし、外観もカッコいいのだが、
伝説になるほど「かっこいい」、と言われているのはその生きざまだ。
先見の明がある。媚びない。潔い。自分の考えを曲げない。
とにかくかっこいいのだ。

中学生の頃は結構な乱暴者だったので、まるで島流しにあったかのようにイギリスのケンブリッジ大学に行き、卒業。
ここで「プリンシプル(原理原則)の精神」を身につける。
プリンプルとは、白洲は「筋を通す」、または「武士の一分」と表現している。
これは、「自分はこういう生き方をしたい。そうすれば納得できる人生になる」ということを心の中に持つということだろう。

1940年(38才)の頃から仕事から退き、日本が戦争に突入すれば食糧不足になることを予見し、東京は南多摩の鶴川村に土地を求め農業に専念する。
案の定、戦争に負け食糧難に陥った日本。
敗戦処理の際、農夫の白洲は、知り合いだった吉田茂首相からGHQとの交渉を任される。
天皇陛下からの手土産を持ってマッカーサーを訪ねた時のこと。
マッカーサーは、「その辺に置いといてくれ」と言った。
「天皇陛下からの贈り物を適当に置けとは何事か!」
とマッカーサーに怒ったという。
「戦争には負けたが奴隷になったわけではない」とも言い放った。

商工省の外局である貿易庁の長官の時、汚職の巣になっていた商工省を、就任後3か月で解体し、将来の日本のために通産省を作った。
周りの人は、「地位が欲しかったのだろう」と思うものもいたが、
通産省を作ったら、それを後任に任せ、自分はまた農夫に戻ってしまう。

実業家として活躍していた時代もある。
運転手つきの社用車に乗るとき、次郎は好んで助手席に座った。理由を聞かれると、「後ろでふんぞり返っているやつはみんなバカだ!」と、言うことらしかった。

食事のため店に車で来ると、
「天丼でも何でもいいから、先に運転手に食べさせてやってくれ」と、真っ先に運転手の食べ物を注文するのが常だった。

軽井沢のゴルフ場の理事をやっている時には、
紹介状を持たない田中角栄氏の秘書がプレーの申し込みをした際に
「田中という名前の人間は犬の糞ほどもいるが、どこの田中か」
「総理の田中です」
「ここ(軽井沢ゴルフクラブ)は会員のための倶楽部だ。
メンバーか、その紹介がなければプレーすることは出来ない。」
と、一蹴した。
その後、田中角栄が直に電話しても、そのことを告げ、田中はしぶしぶ違うゴルフ場にしたのだという。
その他の名言集の中には以下のようなものもある。

「自分よりも目下と思われる人間には親切にしろよ。」

「運転手を待たしてゴルフする奴なんか、ゴルフをする資格はない。」

「人に好かれようと思って仕事をするな。
むしろ、半分の人には嫌われるように積極的に努力しないと良い仕事は出来ない。」

地位が高いのに、このような生き方をしている人はかっこいいですね。

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