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「上原浩治の雑草魂」

『上原浩治の雑草魂』

小学生の時父親が監督をしていたチームで野球を始めたが、さほど本格的ではない。

 中学時代は陸上部にも入り、三段跳びや幅跳びをしていた。

 「自転車で通えて、野球が強い」という理由で選んだ東海大仰星高時代はセンター。

 3年時に投手に転向したが、最後まで控え投手だった。

 高校時代の公式戦通算投球回はわずか6回1/3。

 ただ、連日、打撃投手を買って出て、球数はたくさんに投げた。

 持ち味である制球力とテンポの良い投げ方は、この時期に鍛えられた。

体育教師を目指し、大体大の入試を受けるも不合格。

 これが転機となった。勉強とともに、体も鍛えておいたほうがいいというアドバイスもあり、ジムでトレーニングをし、体のメカニズムを勉強した。

 『ノーラン・ライアンのピッチャーズ・バイブル』をむさぼるように読んだのも、この時期だ。

 出遅れた悔しさや焦りもあったが、のちにつながる多くの糧を得た1年でもあった。

一浪し、大体大に入学。野球部に入った。

1年間、ほとんど野球はしていなかったが、理論立てたトレーニングで、しっかりと体が出来上がったことに加え、自身の長身を利したフォームの研究も奏功。見違えるほどの成長を遂げていた。

 プロ入りし、1年目に最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率、沢村賞、新人王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。

 大リーグでは4球団でプレーし、巨人復帰。昨季は7月に日本人初の日米通算100勝、100セーブ、100ホールドを達成した。

 

19歳の当時を思い返し、あの辛い浪人時代があったからこそ、忍耐力が身に付いたという上原。

「野球ができなかった19歳のときの苦しさを思えば、打たれても野球ができるいまは辛くもなんともない。

あの頃を忘れないように……」という意味も込めて、巨人での背番号を「19」にした。

メジャー4球団でも、ずっと背中に「19」をつけ続けた。

 

やはり、苦労は人間を強くさせるものですね。

「苦労は買ってでもしろ!」

若い方たちに苦労をしてもらい、「あきらめない心」、を養い、強い日本を再生してもらいたいものです。

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